信頼性

信頼の3つの情報源

ニコラス・ハンフリーによれば、私たちが信頼への判断のために用いる情報源は3つあるという。

(1)「個人的な体験」 (2)「合理的な推論」 (3)「外部の権威」である。

個人的な体験はコンテキストが背景にあるので一人称ということになる。私は信頼するが他者が同じとは限らない。同じようなことを多くの人が体験していれば、“あるある”となって普遍性も出てくる。

合理的な推論というのは、事実と論理そして透明性が鍵となる。コーポレートガバナンスには、透明性(Transparency)と説明責任(Accountability)の両方が条件である。説明責任は組織からの一方通行なので、それだけでは納得感はない。

透明性があれば合理的推論に足るかといえば、そうでもない。逆に“そんなことやっているの” “見たい、知りたいのはそこじゃない” ということにもなりかねない。

 

信頼には「意図」と「能力」の2つの側面がある。意図というのは、“当社はこんな考え方でやっていきたい”といったもの。共感できるかどうかであり、結果をもたらす姿勢を示すものであるから、これも必要。

しかし、合理的推論となると「能力」を示す必要がある。ブランド・プロミスを担保するものだ。

 

外部の権威というのは、どこどこの機関が “間違いない” と証明してくれるものだ。今は、クラウド知の時代でもあるので、多くの人が “間違いない” と声をあげれば、これも外部の権威といってよいかどうかは課題だ。

今、外部の権威というのが薄らいでいる。我々の責任ではない。勝手にごまかしや隠蔽を組織的継続的に行ってきているから信頼できないのだ。内向きではない信頼できる機関や組織というのが少なくなってきているのではないか。

そうなってくるとクラウド知の方を信じたくなる。その代表的なものがAIである。合理的な推論つまり信頼できるものの多くはAIに頼るということになるのだろうか。